「披露宴には、小宮先生もいらっしゃるそうだよ」
旧友の結婚式を目前に控えたある日、新婦の友人である彼女がふと思い出したように言った。
「小宮って、中三の時の担任の?」
「そう。熱血こみやん」
懐かしいニックネームに、中学時代の思い出が一気に蘇る。ついでに過酷だった体育の授業も思い出し、少しだけげんなりした。
「それにしても、社交的だとは思っていたけど、中学の担任まで招待するなんてあいつはどれだけ顔が広いんだ」
「そりゃあ、堤カーサービスの専務だもん。小宮先生もお得意様らしいよ」
その答えに、なるほどなと納得する。
自動車整備士である新郎の家は親の代から整備会社を営んでおり、そのお陰で地元の人たちとの縁が切れないと言っていた。
「わたしたちのこと知ったら、先生びっくりするかなあ」
「そりゃあするだろう」
旧友が式を挙げるのに合わせ、自分も彼女の家に挨拶に行く予定になっている。
こんなことを言えば怒られそうだが、自分にとっては友人の結婚式どころではないのが本音だ。
まだ少年だった頃、あの小さな町を離れる時にこんな未来は予想もつかなかった。
不意に、卒業式のあとの恩師の言葉が蘇る。
―― 今は一生会えない気がしても、意外と世界は狭いぞ。
恩師に再会したら伝えてみようか。
必死で手を伸ばせば大切なものに届くくらいに、意外と世界は狭かったですと。
大きくて小さな世界
「さっきの方が佐々木さんですか?」
本日到着する団体の添乗員との電話での打ち合わせを終えてフロントへ出ると、鍵の準備をしていた後輩が尋ねてきた。
今年の春に大学を卒業して入社した彼女は、昨年の夏に異動した先輩とは面識がない。
けれどもわたしが先輩が訪れることをずっと心待ちにしていたから、彼女もすぐに分かったのだろう。
「そうだよ。わたしの前にずっとボヤージュで団体を担当していて、今はボヤージュ東京でチーフをされている人。入社以来、わたしが一番お世話になった人だよ」
「へえ、優しそうな方ですね」
「仕事では怖いよー」
冗談ぽく言ったので後輩は信じていないが、半分は本当だ。
決して理不尽なことは言わないが、理論立てて何が悪いのかを説明されるので、いつもあの人の前では自分の至らなさを痛感させられた。
わたしだって一生懸命やっているもの。誰だってミスくらいあるじゃないか。先輩とわたしではキャリアが違うんだから、わたしの方ができなくても当然じゃん。
どれも本気で思っていたわけではないけれど、心のどこかで微かに言い訳にしていた台詞。
けれどもあの日、あの人は決して言い訳をせず、全ての責任を背負いこんで奔走していた。
弱さを見せない凛とした姿に、自分とは違う特別な人なのだとずっと思っていたけれど、最後のひとりを北町に送って戻って来た彼女の目は確かに赤かった。
「今日の団体は添乗員だけが別でクーポン切るから、ちゃんと手配書確認しておいてね」
まだ経験の浅い後輩に、団体のチェックインの方法を指導する。入社当時は自分も彼女のように何も知らなかったけれど、気づけば少しずつ知識が増えていた。
未だに自分はミスをするけれど、その度に叱られて謝って、そしてまた少し成長しているのだと思う。
「すみません、もう一回業務用クーポンについて説明して下さい」
必死でメモをとろうとしている後輩を頼もしく思いながら、もう一度噛み砕いて説明した。
忙しい毎日における喜びは僅かで、多くは憂鬱に占められている。けれども、頑張るしかない。憧れる背中が前を進んでいるから、自分も頑張るしかないのだ。
いつか先輩に追いつく為に、そして後輩に追い抜かれないように。
「さてと、今日は満室だからチェックイン忙しいよ。頑張ろうね」
そう言って後輩と、そして自分に気合いを入れる。自動ドアが開き家族連れがやって来る。
いらっしゃいませと、笑顔を浮かべて出迎えた。
追いつきたい背中
「あれ、これは中学の時に通学鞄につけていたカエル?」
彼が住むマンションに運び込んだ自分の荷物を整理していると、薄汚れたピンク色のカエルを手にしながら彼が尋ねてきた。
何となく捨てられずに新居にまで連れてきたカエルは、確かに中学時代を共に過ごした相棒だ。
「さすが記憶力良いね」
間もなく夫となるこの人は、昔から記憶力が良くて成績も良くて、何ひとつ敵わない。
羨望と微かな嫉妬を込めてそう呟くと、彼は意外にも複雑そうな表情を見せた。
「好きな子のことは、些細なことでも記憶に残るものだろう?」
まるで、当時わたしのことを好きだったかのように彼はのたまう。けれども残念ながら、あの頃のわたしたちは言葉を交わしたこともないただのクラスメイトにすぎなかったのだ。
「どういう意味?」
「そういう意味」
真面目で優しい彼はたまに意地悪で、今日もまた翻弄される。
「俺の方が、ずっと先に好きだったんだ」
わたしの方が一方的に尊敬して、わたしの方が一方的にライバルだと思って、わたしの方が一方的に目標にしていた。
その憧れの気持ちを恋と名づけるにはあまりにも幼稚で、それでも特別で大切なものであったというのは紛れもない事実だ。
けれども、わたしが名前すらつけることのできなかった気持ちを彼も抱き、あまつさえその正体が恋であると知っていたというのか。
「……嘘だ」
「本当。好きになったのは、俺の方が早いんだよ」
ああ、こうやってわたしはまたこの人を好きになってゆくのだ。
自分が発する言葉の威力を知らない相手に、ずるいという気持ちが湧き起る。
けれども、ずっと敵わない相手だけど、ひとつだけわたしが勝っていることがある。
「でも、今はわたしの方が好きだから」
それは事実で、これだけは負ける筈がないのだ。
「いや、中学の時も今も、俺の方が好きの度合いは大きいよ」
ああ、やっぱり敵わない。けれどもそう簡単には負けを認めるわけにいかないので、一生挑んでゆくしかないだろう。
そしてそうすることが、ふたりが幸せになる方法なのかも知れない。
「一生分のトータルでは、きっとわたしが勝つからね」
負けず嫌いの彼女