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イトコ



 そして自覚 4


 昼間の時間が短くなると、無性に急かされているような気がして落ち着かない。師が西へ東へ慌しく走るという月は、瞬く間に過ぎていった。
 新しい家族で迎える年の瀬は大はりきりの母の指揮の下で大掃除とおせち作りに追われ、冬休みの前半をあっという間に消化してしまう。 年が明けても初詣に出かけたり久しぶりに祖母に会いに行ったりで、気づけば三学期まで残すはあと二日だけだった。

「はあー、楽しかった!」
「歌いすぎて、喉が痛いよ」
 志穂子が住む町から電車で三十分程の所にあるエリアはこの辺りで最も栄えており、駅前には大型のショッピングモールや映画館、カラオケなどが軒を連ねている。 夕闇せまる駅前の広場は若者たちで賑わい、その中で志穂子もクラスメイトたちと談笑していた。
 高校生にとって一年で一番懐が暖かくなる年明けに、志穂子たちのクラスはカラオケ大会を実施した。冬休み中ということで参加者も多く、当初の予定より一時間ずつ二度も延長をしてしまった。 その盛り上りをそのまま引きずり、本来は店を出て解散だけれども何となくその場を離れがたく、皆そのまま駅前でたむろしている。

「寒いー。もう限界、帰るわ」
「わたしも。また明後日、学校でねー」
 時折吹き抜ける冷たいビル風に身を縮めながら、ようやくひとりふたりとその輪から離れてゆく。このまま帰る者もいれば、仲の良いグループで夕飯を食べに行く人たちもいるようだ。 アスファルトから伝わる冷気を感じながら、そろそろ帰ろうかと志穂子は傍らの志乃を見やった。
「志穂ちゃんと志乃ちゃんは同じ方向だっけ?」
「うん、同じ駅」
「そっか。じゃあわたしはバスだから、またねー」
 バイバイと友人たちに手を振ると、志穂子と志乃も駅へ向かって歩き出した。

「おーい、おふたりさん。途中まで一緒に帰ろうぜ」
 陽気な声に呼び止められて志穂子たちが振り向くと、カラオケで一番はしゃいでいた星田と照井がこちらに向かって小走りに追いかけて来た。 志穂子は知らなかったのだが、聞けば彼らは同じ沿線の三駅先が最寄りになるらしい。
「志穂ちゃん、全然歌わなかったじゃん」
「だって、わたし音痴なんだもん」
 隣に並んだ星田が、志穂子に話しかけてくる。人前で歌うことが苦手な志穂子は専ら聴く方に専念していたのだが、どうやら星田は彼女が一度もマイクを握っていないことに気づいていたらしい。 恥ずかしそうに弁解すると、照井が後ろから口を挟んできた。
「えー、そんなの気にする必要ないのに。ほっしーの歌聞いただろ?」
「そうだよ志穂。星田なんか恥ずかしげもなく三曲も熱唱だよ」
「それどういう意味だよ、テル? てゆか志乃さん、それはあんまりな言い様じゃないっすか?」
 最近のヒットチャートを歌う星田はことごとく音程を外していて、クラスメイトたちを爆笑の渦に巻き込んでいた。けれども本人はいたって真面目で、それが余計に笑いを誘うのだ。
「志穂ちゃんまで、何笑ってるんだよ」
 拗ねたような星田の表情が可笑しくて堪え切れずに吹き出すと、星田は志穂子を肘で小突いてきた。

「あれー、圭介じゃん」
 尚もくすくすと笑い続ける志穂子の背後で、照井が驚いたように声を発した。予期していなかった名前が唐突に聞こえて、それまで笑っていた志穂子の表情が緊張で強張る。 声の主である照井の視線の先を追うと、黒のウインドブレーカーを着た一群がいた。その中で一番長身の人物と一瞬視線が交錯し、志穂子はとくりと心臓が脈打つのを感じた。 ぺこりと微かに会釈すると、分かるか分からないかの微妙な角度で圭介も頭を下げてくる。
「あけおめー! 偶然だな。新年早々試合だったのか?」
「いや、他校との合同練習。そっちは?」
「ダブルデート」
 こちらまで近づいて来た圭介と照井の会話に、星田がふざけて割り込む。その発言に、思わずぎょっとして志穂子は過敏に反応してしまった。
「ああ、カラオケ大会か」
 星田の台詞に全く取り合わず、圭介が思い出したように言う。
「何で知ってるんだよ?」
「さあね」
 素っ気なく言うと、圭介がちらりと志穂子を見やったような気がした。
「そう言えば、太一は?」
「太一はデートだよ」
「あいつはクラスの親睦を深めることより、彼女を選んだんだ」
 圭介の問いに志乃が答えると、隣で憤慨したように星田が言う。
「たぶん太一は、ほっしーの歌声に耐える自信が無かったんだろうな」
「やっぱりそうか。俺も薄々そんな気はしてたんだ」
 圭介の言葉に、照井が納得したように頷く。そんなふたりの失礼なやりとりに、星田がふざけて拳を上げた。星田のパンチを笑いながら避ける圭介を、志穂子はそっと眺めていた。

「おーい、圭介。先に行くぞ」
「すぐ行く」
 男子三人がじゃれ合っていると、数メートル先で待っていた黒の一群が圭介に呼びかけた。名前は知らないが見たことのある顔ばかりなので、全員が志穂子と同じ一年だと思われる。 彼らに短く返事をすると、圭介は星田たちにこれから夕飯を食べに行くのだと説明した。
「そっか。じゃあ、また学校でな」
「ああ」
 圭介が軽く手を上げて、小走りで陸上部の仲間たちのもとへ戻って行く。星田と照井は知り合いがいたのか、そちらの方にもぶんぶんと手を振っていた。 飲食店が並ぶ方向へ歩いて行く一行を見送ると、照井が行こうかと促して志穂子たちも駅の改札へ向かって歩き出した。

「志穂ちゃんは普段、圭介と喋らないの?」
 夕方の駅のコンコースは老若男女、様々な人で溢れていた。必死に人ごみの中を歩いていた志穂子に対し、不意に星田が尋ねてくる。
「えっと、あんまり喋る機会が無くて」
 星田の無邪気な質問に、志穂子は戸惑いながら答えた。新年を迎えて圭介に会うのは、今日がはじめてだった。二日前に家族で年始の挨拶に金澤家を訪れたが、部活の為に圭介だけが不在だったのだ。 だから挨拶だけでもすれば良かったのに、星田や照井や志乃との気安いやりとりに気後れして、あけましておめでとうの一言さえ言えなかった。
「何で? いとこなんでしょ?」
「志穂も圭介もあんたと違って口数少ないからね。だから、あんたみたいにべらべら喋らないんだよ」
 一瞬言葉に詰まった志穂子の隣で、志乃が星田を揶揄するように口を挟む。
「誰彼構わず話しかけるおしゃべりマシーンのほっしーとは違うんだってさ」
「そっか、なるほどね!」
 志乃と照井の言葉に星田はぽんと大きく手を打つと、ぺろりと舌を出す。そんなベタな仕草に、志乃と照井が声を上げて笑う。ワンテンポ遅れて志穂子も笑った。
「なあ、俺らもメシ食いに行かない?」
 ふと思いついたように照井が提案する。その言葉に、星田が一も二もなく同意した。
「だめー。今日はこれから志穂の家にお泊りなの」
「マジで!? いいなー」
 志乃が得意気に宣言すると、星田が羨ましそうに声を上げた。
「志穂のおばさんが夕飯用意してくれてるらしいから、また今度ね。てゆか、あんたたちはさっさと帰らないと。どうせまだ冬休みの宿題終わってないんでしょ?」
「げっ、何故それを……」
「せっかく忘れてたのに、思い出させるなよ」
 頭を抱えるふたりに対し、志乃がやっぱりというような表情を見せる。 すっかりテンションが下がってしまったふたりと共に改札を抜けると、間もなく志穂子たちが帰る方面の電車が到着することを告げるアナウンスが流れ、四人は慌ててホームへ向かって駆け出した。



* * *   * * *   * * *



「さっき、志穂の携帯鳴ってたよ」
 志穂子が入浴を終えて自分の部屋に戻ると、先に入浴を済ませていた志乃がベッドサイドのチェストの上で充電中の携帯電話を指差して言った。
「ありがと」
 そう答えてメールを確認すると、千明からだった。千明と宏美と香織とは夏以来会えていないが、メールでは定期的に近況報告をし合っている。志穂子はメールを開くと、素早くその内容に目を走らせた。
「志穂のおばさん、料理上手だね。あんまり美味しいから食べ過ぎたよ」
 志穂子が千明のメールに返信していると、ごろりと布団に横になりながら志乃が言った。志穂子が出かけている間、母が志乃の為に来客用の布団を干して準備してくれていたらしい。
「志乃があんまり褒めるから、お母さんすっかり調子に乗ってるよ」
 志乃が泊まりに来るということで何日も前から張り切ってメニューを考えていた母は、彼女が美味しいを連発しながら全て平らげてくれたことが余程嬉しかったようだ。 子供のようにはしゃいでいた母の様子を思い出しながら苦笑いを浮かべると、メールを送信し終えた志穂子もごろりと自分のベッドに横になった。
「志穂のおばさん可愛いね。おじさんは優しいし」
 甥である圭介と祐介の幼馴染ということもあり、和彦も志乃の来訪を心から歓迎していた。
「お母さんが可愛いは言い過ぎだけど、ふたりお似合いでしょ?」
「うん、お似合いだね」
 志穂子が尋ねると、志乃が頷いた。そうしてふたり、微笑み合う。

「ねえ」
 やがて、躊躇うように志乃が言葉を発した。
「なあに?」
 志穂子がのんびりとした口調で問い返す。風呂上りの体はぽかぽかと温まり、ベッドの上に投げ出した体はすっかりリラックスしている。
「あのさ、志穂は圭介のこと苦手なの?」
 一瞬の間を置いてから志乃が発した質問に、弛緩した志穂子の体がぴくりと強張る。
「……何で?」
 動揺を悟られないようにそっと起き上がりながら小さく問い返した志穂子を、相変わらず横になったままの志乃がじっと見上げていた。
「志穂は大人しい方だし、圭介は無口だから多少ぎこちなくてもそんなものだと思うけど、さっきの志穂はあまりにもよそよそしかったからさ」
「だってわたしは、たまたまお母さんが和彦さんと再婚したからいとこになっただけだもん……」
 母の再婚という些細な縁でいとこになっただけなので、もともと圭介と会話をしたのはごく僅かだ。 今までは特にそれを何とも思っていなかったし、むしろいきなりいとこだと言われても圭介だって迷惑だろうからできるだけ関わらないでいようと思っていた。
 けれども今は、別の理由で圭介と関われないでいる。自分の気持ちを自覚して以来、志穂子は圭介との接触をこれまで以上に避けていた。もっと言葉を交わして、もっと彼のことを知りたい。 そんな欲望を抱えながらも彼の姿を見かけるだけで緊張してしまい、今まで以上に何を話して良いのか分からなくなる。
 臆病な志穂子は、誰にも悟られないようにと密やかに彼の姿を盗み見ることしかできなかった。

「たまたまいとこになったって、何だか引け目を感じてるように聞こえるよ。生まれながらでもたまたまでもそんなの関係ないじゃん。 そもそもわたしたちは同じ学校の同級生なんだから、それだけでも仲良くする理由としては充分だと思うよ」
「うん」
 志乃の言葉は正論で、志穂子は小さく肯定した。
「あいつは無愛想だけど、良い奴だからさ」
「そんなの知ってるよ」
 とりなすように、笑いながら志乃が言う。けれどもそれに答える志穂子の口調は、予想以上に尖っていた。そして次の瞬間、たった今自分が発した不機嫌な声音に激しく狼狽する。
「ごめん……」
 羞恥に顔が赤く染まるのを感じながら、消え入るような声で志穂子は謝った。
 圭介は無口だが決して無愛想ではない。発する言葉は少なくても、その内容は真摯で優しい。けれどもそのことを最もよく知っているのは、志穂子よりも幼い頃から圭介を知る志乃だろう。 彼女の口調にふたりの距離の近さを感じ、わざわざ説明されなくても自分だってちゃんと知っているのだと衝動的に反発したくなった。要するに、志穂子は志乃に嫉妬したのだ。
「志穂」
 志乃がゆっくりと起き上がり、ベッドの上で小さくなっている志穂子の隣に座る。
「そういうことか……」
 そう小さく呟くと、志乃はまるで幼子をあやすように志穂子の背中を優しく撫ぜた。

 


2012/07/03 


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