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イトコ



 無神経の代償 8


 十月最後の日曜日は、果てが透けて見えそうな青い空が高く広がっていた。
 いつもは画一的に見える校内は派手な看板やポスターで華やかに彩られ、クラスごとに個性的な表情を見せている。 呼び込みの声や歓声に満ちた賑やかな校舎内を抜け、オレンジ色のTシャツを着て頭に黄色のバンダナを巻いた志穂子はぱたぱたと体育館に向かって走っていた。
 いよいよ今日は、高校に入学してはじめての文化祭だ。

「お待たせ、両替して来たよ。これだけあれば足りるかな」
「ありがと、志穂ちゃん」
 志穂子のクラスの出店場所に指定された体育館横にはテントが組まれ、色鮮やかな看板が掲げられている。 志穂子が本部で両替して来た硬貨をキャッシャー代わりの缶に移すと、同じくオレンジ色のTシャツを着たクラスメイトが労いの言葉をかけてくれた。
「ううん。それより遅くなってごめんね、交代するよ」
「いいよ、いいよ。わたしお昼まで当番だし」
「でも、吹奏楽部の公演一時からでしょ? 準備もあるだろうし、お昼食べる暇が無いじゃない」
 志穂子がそう指摘すると、相手は驚いたように目を瞬いた。
「それは仕方無いよ。その代わり朝ごはんいっぱい食べて来たから大丈夫」
「そんなの良い演奏できないよ。わたしは予定無いから気にしないで」
 文化部に所属している生徒たちは、クラスと部活の出し物を掛け持ちするので忙しい。できるだけスケジュールが重ならないようにクラスの当番を調整したのだが、全員を理想的に組むことは不可能だった。
「でも、それじゃあ志穂ちゃんに皺寄せがいっちゃうじゃない」
「大丈夫。お昼過ぎたら落ち着くだろうし、そしたらわたしもちょっと抜けさせてもらうよ」
 躊躇するクラスメイトを説得していると、表から声をかけられた。
「ごめん、ちょっと前手伝って!」
「すぐ行く」
 店頭に立っている他の生徒からのヘルプ要請を機に、志穂子は両手で背中を軽く押す。
「そうだ、A組のサンドウィッチが美味しいって噂だよ」
「じゃあ、そこでお昼にする。志穂ちゃんありがとね」
「演奏見に行けないけど、頑張って」
 手を振って見送ると、志穂子は慌てて表に出た。

「あ、藤原さんごめん。ちょっと生地足りなくなったから変わって」
 志穂子が表に出ると、お好み焼きを待つ人の列ができていた。十二時を前に、徐々に客が集まり始めているようだ。売り子をしていた男子生徒が志穂子に声をかけ、慌ただしく奥へ入って行った。 寸胴に作り置きしている生地は重く、男子が運ぶことになっている。
「お待たせしました」
「あれ、志穂ちゃん」
 バトンタッチした志穂子が先頭で待っていた客に声をかけると、驚いたように名前を呼ばれた。
「祐介さん!」
 そこには、彼女連れの祐介が立っていた。
「実は俺も此処の出身なんだ。志穂ちゃんのクラスがお好み焼き屋だって叔母さんから聞いて来たんだけど、会えて良かったよ」
「祐介さんが先輩だって、今はじめて知りました」
 志穂子が驚きを隠さずにそう言うと、伯父も卒業生だと教えられて更に驚いた。
「卒業したのはもう十年近く前だから、色々この学校も変わってるけどね」
 祐介の言葉を興味深く聞きながら手早くソースを塗り、できあがったお好み焼きをそれぞれに手渡した。彼女に手渡す時に目が合い、そっと会釈をする。
「そうだ、彼女は俺の婚約者。聞いてるかも知れないけど、春に結婚することになったんだ」
「母から聞きました。おめでとうございます」
 代金を受け取りながら、志穂子は慌ててぺこりと頭を下げた。
「今度ゆっくりと紹介するよ。今日は忙しそうだから」
 志穂子からお釣りを受け取ると、祐介は頑張ってねと言いながら軽く手を上げた。隣で彼女も柔らかく微笑みながら、小さく手を振ってくれる。
「すみません、バタバタしてて。ありがとうございました」
 立ち去るふたつの背中にお礼を告げると、次の客に向き直る。後ろに続く列は更に延びていた。



「志穂、交代するよ。お昼食べて来て」
 志乃からそう声をかけられ腕時計を見ると、一時半を過ぎたところだった。昼のピークが過ぎて列も途切れ、ようやく少し落ち着いてきたようだ。
「じゃあ、お願い」
「こっちは任せてゆっくりしてきなよ。お腹すいたでしょ?」
「うん、ぺこぺこ」
 他のクラスメイトたちに声をかけ、テントから出て本館へと向かう。午前中フリーで既に色々と回って来たクラスメイトたちから、どのクラスの出し物が美味しいかという情報は得ている。 いくつかある候補を頭に浮かべ、志穂子は賑やかな校舎内へと入って行った。
 志穂子の高校の文化祭は外部の人も自由に来場できるので、校内はかなりの人で賑わっていた。近所の人や保護者、それに祐介のような卒業生と思しき人たちもたくさんいる。 毎日授業を受けている学校が、まるで別の場所のようだと志穂子は不思議な感覚に陥っていた。

「藤原さん、ありがとね」
 A組の文化祭実行委員からサンドウィッチを受け取ると、志穂子はいつもの場所へと歩き出した。調理部の料理が本格的で美味しいとの噂だが、ひとりでは少し入りにくい。 先程クラスメイトにも勧めたサンドウィッチなら外で食べられるのでとA組の教室を訪れたのだが、委員会で顔見知りになった女子生徒がいたのでこちらにして良かったと思う。
 志穂子は物珍しげにきょろきょろと見渡しながら、食事をとったあとは何処を回ろうかと頭を巡らせた。 クラスメイトの作品が展示されている美術部と書道部は見たいし、委員会で仲良くなった子のクラスも回りたい。 互いに文化祭委員なので志乃と一緒に回れないのが残念だが、三時からフリーになるクラスメイトと合流することになっているので、彼女と一緒に調理部のケーキを食べに行っても良いなと思った。



 特別棟の裏のベンチは、今日も静かだった。
 誰もいないベンチへ腰かけると、無意識のうちに志穂子の口から溜息が洩れる。今まで自覚していなかったが、一旦座ると一気に疲労を感じる。 大きなトラブルは無かったものの、やはり不慣れなので予想通りにはいかず、結局今まで店を離れることができなかったのだ。
「いただきます」
 手を合わせて小さく呟くと、先程買ったサンドウィッチを頬張った。ベーコンやトマトやレタスなどがたっぷり入ったクラブハウスサンドはボリューム満点で、なるほどこれは評判になるなと納得した。 食べ終わると落ちたパンの屑を払ってゴミをビニール袋にまとめ、一緒に買ったアイスティーに口をつける。
 時折、爽やかな秋の風が吹き抜け、本館の賑わいを微かに運んでくる。 特別棟にある美術室や化学室などでも各クラブの展示がされているのだが、派手な勧誘をしていないのでお祭り騒ぎの本館に比べ訪れる人が少ないのだ。
 ベンチの背にもたれて空を仰ぐと雲ひとつない青空が広がり、志穂子は吸い込まれそうだと思った。

 その瞬間、ガサリと微かな音がした。慌てて体勢を戻して音の方へと視線をやると、そこには黒のクラスTシャツを着た圭介が立っていた。
「あ……」
 目と目が合ったものの、志穂子の口からは言葉が上手く出てこない。じっと見つめながら言葉を探していると、ふいと視線を逸らされた。
「悪い、邪魔したな」
「待って」
 くるりと背を向けた圭介を、思わず志穂子は呼び止めた。
「あの、お昼するつもりだったなら、隣どうぞ」
 おずおずと申し出る。驚いたような表情にはたと気づき、慌てて言葉を足す。
「あ、わたし、もう食べ終わったから行くし」
「いいよ、居て」
 自分とふたりは居心地が悪いだろうと思い立ち上がりかけたが、圭介はそんな志穂子の言葉を制すると、つかつかと近づいて来て隣にどかりと座った。その瞬間、ふわりとソースの匂いが鼻を掠める。

「それ……」
 圭介が手にしていた茶色の紙袋からごそごそと取り出したのは、志穂子のクラスのお好み焼きだった。
「ちょうど太一が当番だから買って来た。さっき兄貴が行っただろ? 旨いから食っとけって、やたら勧めてきたからさ」
「祐介さんが? お世辞でも、嬉しい」
 思いもよらぬ褒め言葉に志穂子の心が弾む。口元に浮かぶ笑みを隠すように、そっと頬に手をやった。
「これ、面白いのな。あんたが考えたんだって?」
 ガサガサと音を立てながら包み紙を開き、圭介が尋ねてくる。その手には、今川焼ほどの大きさのお好み焼きがあった。
「あ、うん。小さい頃に目玉焼きの型を母が買ってくれて、よくハンバーグとかカレーライスとかにのせてくれてたの。 捨てたと思ってたんだけど別の荷物に紛れていたのが見つかって、これでお好み焼き作ったら面白いかなって」
 普通のお好み焼きを作っても、光のクラスにお客をさらわれてしまうのは明白だ。小さな生地を二枚焼き、間にソースを塗ってハンバーガーのようにすれば箸も不要だし、歩きながらでも食べられる。 その手軽さが受けて、予想以上に客が集まったのだ。
「旨い」
「本当!?」
 思わず見上げると、面食らったような圭介の瞳とぶつかった。あまりの志穂子の勢いに、圭介が苦笑いを浮かべる。
「ガキの頃からお好み焼き食ってる俺と兄貴が言うんだから本当」
「嬉しい。誰に褒められるよりも、嬉しいかも」
 クラス全員で作り上げた物だけど、何だか自分が褒められたような気がして志穂子はくすぐったいような気持ちになった。 そんな志穂子の様子を呆れたように見ていた圭介も、あまりに志穂子が嬉しそうにしているので思わず口元を緩めていた。

「ほっしーとテルが、俺んちの店を超えたぞってわざわざ宣言しに来てた」
 ふたつあったお好み焼きを一気に平らげると、志穂子の隣でうんざりしたように圭介が言った。クラスのムードメーカーふたりのお馬鹿発言は容易に想像ができて、志穂子は思わず吹き出しそうになる。
「あいつら、やたら俺んちをライバル視してて意味不明なんだけど」
「でも、男子の中では星田くんと照井くんが一番手伝ってくれたよ。あと、加藤くんも」
「それは、委員が頑張ってたからだろ」
 笑いを噛み殺しながら男子たちをフォローした志穂子だが、圭介の思わぬ返しにぽかんと口を開けたままじっと彼を見つめてしまう。
「へ?」
「E組の文化祭委員はやたら頑張ってたって、評判だったってこと」

 素っ気なくそう言うと、圭介は思い切り目を逸らした。だから志穂子も慌てて俯く。
 けれど、嬉しさで胸がつまりそうだった。ありがとうと言いたいのに言葉が上手く出てこなくて、もう一度志穂子はこっそりと圭介の言葉を胸の中で反芻してみる。
 風が、さわさわと木の葉を揺らす。
 自分のつま先を見つめながら、ようやく志穂子は小さな声でお礼を言った。

 


2012/05/19 


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