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イトコ



 無神経の代償 2


「美奈、美奈!」
 まるで迷子の子供が母を呼ぶように、志穂子は必死で名前を呼んで美奈の背中を追いかけた。他のクラスの生徒たちが何事かと振り返る。 ちょうどどのクラスもホームルームを終えたばかりで廊下や階段は混雑しており、美奈との距離がどんどん開いてゆく。
 ようやく昇降口の靴箱に辿り着いた時には、美奈の姿は何処にも見当たらなかった。そっと美奈の靴箱を開けるとそこには上履きがあり、既に美奈が校舎の外へ出たことを物語っていた。

「志穂」
 下校しようとしている生徒たちの波間に志穂子が呆然と立ち尽くしていると、背後から名前を呼ばれた。振り返ると、不機嫌そうな表情で恵が立っていた。
「……恵」
「あの子、今は志穂の顔見たくないって」
「そう……」
 さらりと言われた恵の言葉に、志穂子は小さく傷ついて俯いた。
「わたしも相当むかついてるんだけど、志穂にも言い分はあるだろうし、とりあえず話を聞くわ。そして、美奈にもそれを伝える」
 淡々とそれだけ告げると、恵はさっさと歩き出す。戸惑いながらも志穂子は、恵の背中を追いかけた。



 恵が向かったのは、各教室がある本館と特別棟を繋ぐ渡り廊下だった。正門とは反対側にあるので、人影はまばらだ。 そこで足を止めると、前を歩いていた恵はくるりと志穂子に向き直った。
「で、金澤が言ったことは本当なの?」
 射るように見つめられて、志穂子はただ黙ってこくりと頷いた。
「ねえ、志穂。あんた美奈の気持ち知ってたでしょ? 何で言わなかったの?」
「……」
 至極当然のことを指摘され、言葉に詰まる。そんな様子を見て、恵は眉を寄せた。
「金澤のことが好きなの? だから美奈に言わなかったの?」
「違う!」
 志穂子は思わず声を上げた。違う違うと、小さく首を振って否定する。
「じゃあ、言いなよ。何度か金澤の話題が出たことあったじゃない」
 徐々に恵の声が大きくなる。特別棟に向かって歩いていた男子生徒が、ちらりとこちらを振り返る。 その様子に気づいたのか、恵はそこで言葉を切ると気持ちを落ち着けるように大きく息を吐いた。

「金澤くんとは、今年の春にいとこになったばかりなの」
「え……?」
 中庭の花壇を見やりながら、志穂子は躊躇いがちに口を開いた。夏の間、太陽に向かって咲き誇っていたであろう向日葵は、今は萎れてうなだれている。
「わたしの父はわたしが小学生の時に亡くなって、ずっと母とふたり暮らしだったの。だけどこの春、母が金澤くんの叔父さんにあたる人と再婚したんだ」
 予想もしなかった内容なのだろう。言葉を失ったまま、恵がじっと志穂子を見つめていた。
「言わなきゃいけないとは思ってたけど、言いたくなかった。親戚になったとは言え殆ど言葉を交わしたことは無いし、皆に知られて色々詮索されるのは面倒だなと思ってた。 それよりも何よりも、わたし自身が新しい環境についてゆくのが精一杯で、正直そこまで美奈に伝えなきゃという意識も無かったの」
 全て正直に白状すると、志穂子は最後にごめんと言って頭を下げた。

「そっか……」
 沈黙が続き、やがて納得したかのように小さく二度頷くと、ようやく恵がそう呟いた。
「入学してすぐの頃、あまり喋らない志穂を見て、この子は第一志望に落ちてこの学校に入ったのかなと思ってたんだ」
 恵の発言に、志穂子はどきりとした。自分では態度に表わしていないつもりだったけれど、どうしてもこの学校に通いたいという強い意志を持って入学したわけじゃないことが滲み出ていたのかも知れない。 子供じみた態度で周りを不快にさせていたのかも知れないと、志穂子は急に恥ずかしくなった。
「大変だったんだね」
 同情に満ちた目で見つめられ、志穂子は何と答えて良いのか分からなくなる。こういう目は昔から少し苦手で、志穂子は小さく首を振るとそっと視線を逸らした。

「今聞いたこと、美奈に話しても良い?」
「うん。できればわたしから直接謝りたい」
 躊躇いがちに尋ねてきた恵に、志穂子は答える。
「あの子頑なだし、今は混乱してるから難しいと思うけど、伝えとく」
「お願い」
 すっかり人気が無くなった渡り廊下に、チャイムの音が大きく響く。何となくふたりは沈黙になり、チャイムが鳴り終わるのをじっと待っていた。

「じゃあ、帰るわ」
 チャイムの余韻が消えた頃、ようやく恵が口を開いた。
「うん、また明日」
 志穂子がぎこちなく答える。やがて歩き出した恵を、志穂子はぼんやりと見送った。けれども数歩進んだ所で恵は足を止め、一瞬躊躇したのちにゆっくりと振り返る。

「ねえ、志穂」
 遠慮がちに、恵が志穂子の名前を呼んだ。
「ねえ、わたしたちにはやっぱり言えなかった? そこまで心を開けなかった?」
「恵……」
「志穂はいつもわたしたちと一緒にいて、楽しかった?」
 予期しなかった恵の質問に、志穂子は言葉を返すこともできずに固まってしまう。そこには、もちろん楽しいよと即答できない自分がいた。
 きっと恵も美奈も、志穂子が高校生活を少し面倒に感じながら過ごしていることに気づいていたのだ。 志穂子は男子の話ばかりしているふたりを呆れ気味に眺めていたけれど、ふたりはそんな志穂子の冷めた視線にも気づいていたのかも知れない。

「志穂が大変だったのは分かったし、わたしたちに言いづらかったのも分かった。けど、それでも友達なら言って欲しかったとわたしは思うよ」
 責める風でも無く、ただ淡々とそれだけ告げると、恵は今度こそ歩き出す。残された志穂子は、彼女の言葉に動けなくなっていた。
 やがて無意識のうちに、傍らにある渡り廊下の支柱にもたれかかる。 風が吹かずむっとした空気が停滞している渡り廊下で、鉄製の柱はひんやりとして気持ちが良かった。どれほどの間、そうしていただろうか。 やがて近づいて来た女子生徒たちの話し声に我に返ると、志穂子は自分の体温ですっかり生温かくなっていた柱から体を離す。
 そしてじっとりと汗ばんだ首筋を手の甲で拭うと、志穂子はゆっくりと元来た方向へ歩き出した。

 


2012/01/09 


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